家庭教師とその依頼者の思惑の乖離

例えば大学生が家庭教師を行ないたいと考える場合、これはアルバイトです。しかも責任が小さく時間給は他の仕事より良いことになります。しかしそうした動機だけでアルバイトをすると、依頼する側との間に摩擦が起こってしまいます。なぜでしょうか。

それは依頼する側の立場に立ってみればすぐに分かります。家庭教師を必要とするケースは、学校の勉強についていけない、かといって塾に通う意欲もない、という勉強に対して消極的な子供の成績をなんとかしたいと考えるからです。そのため中間テストで悪い成績だった場合は、家庭教師に依頼することによって期末テストで挽回し、近い将来は希望校への受験にパスするという思惑があります。そして学校の教師で駄目だったものを、家庭教師にお願いしたいというニーズなのです。

こう考えると依頼される側は、実はかなり高いハードルが課せられていることが分かります。生徒はそれぞれに個性的ですが、それに対応できるようになるまでに時間がかかるようではいけません。即座に生徒の弱点を見抜き、勉強を「分かるように教える」だけではなく、自分で進んで学びにいく体質を身につけさせなければならないのです。この段階に及んで、家庭教師というのは大学生のアルバイトすなわち余技という範疇では収まらなくなってくるのが分かるはずです。

お金をとる以上はプロだ、というだけではなく、実際に生徒に教えて効果を上げさせなければなりません。気楽にお小遣いを稼げる機会という認識は甘過ぎます。

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